伊 東 孝 志|小 林 耕 平
2021年 11月26日(金)〜12月26日(日)木〜日曜日 13 : 00〜19:00
アーティストトーク|11月26日(金)17:30〜18:30
助成|公益財団法人 金子財団
協力|ARTISTS’ GUILD
展示風景:「伊東孝志 小林耕平」 photo by kenakian
伊東孝志 Ito Takashi
《「場」湖底に石を沈める》2002- ©︎Ito Takashi, photo by kenakian
《「風景」》2021 ©︎Ito Takashi, photo by kenakian
伊東孝志 Ito Takashi
1958年 群馬県生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。1980年代から作品発表を続け、2000年に入る頃からはカレー工場だった建物や元醤油屋などを改修して展示空間をつくり、スタジオ運営や展覧会の企画開催も行う。情景への鋭敏な視点が、記憶と場所の同化/異化を体現することによって、大胆な構成のなかに微細なうつろいのある作品を制作、発表。 現在、栃木県益子市につくったスタジオを拠点に活動している。近年の主な展示:2020年「加藤栄吾伊東孝志」(わたなべ画廊・埼玉)、2017, 2016年「クロニクル、クロニクル!」(CCOクリエイティブセンター大阪・大阪)、2014年 個展「居場所不明」(わたなべ画廊・埼玉)、2012年 個展(渋川市美術館 桑原巨守彫刻美術館・群馬)ほか
「精神性の強い作品を作りたいです。」 大学に入って間もなく、教授からどんな作品に関心があるのか?と聞かれ、しばらく戸惑った後になんとなく言葉にしたのを覚えている。当時はまだ予備校で学んだ僅かな知識だけで美術に関わり、アカデミックな視点しか持たず、ゆえに当然美術の持つ豊かさを全く知らなかった自分が、何故そのような言葉を発したのか、不思議に思う。しかし還暦を過ぎて今までの作品を思い出してみると、と言っても寡作な私は本当に数少ない作品しか作れてこなかったのだが、精神性の強い作品を求める意識はいつもあったように思える。
今、自分が気にし続けた精神性とは?と考え、あえて言葉にすると、生きながら死を想うこと、そしてその状態の中で生まれる思考と価値観。強引な気もするがそんなところだろうか。
誰でもそれぞれの死生観を持っていると思う。そしてその死生観の元になる、核のようなものが生まれたきっかけがあるのではないか。私にとってそれはまだ少年だったころに経験した出来事だった気がしていて、その記憶は年月が経つほどにより鮮明に強く蘇り、私が作品を制作する根源的な理由であり、拠り所になっているようだ。
あといくつ作品を作れるだろう。数が多くとも少なくとも、精神性の強い作品に惹かれ、求め続けると思う。自分にはそれしか出来ないという諦めの気持ちとともに、美術に関わる私の立ち位置はそれでよいと考えている。
そんな私が今回、小林耕平君と展覧会を行うことになった。 小林君とは以前住まいが近かったこともあり、長い付き合いが続いていて、時には互いに作品制作を手伝いあったりもした。付き合い始めてしばらくの間、彼の作る作品に内包された精神性に、前述したような想いを持つ私は当然強く惹かれた。
10年ほど前からだろうか、小林君の作品が変わってきた。しばらく前に「開き直って制作してます」と彼が言うのを聞いた気もする。それらの作品はというと、日常使う言葉や、物の名称、時には人と人の関係性等、それらを当たり前のこととして捉えている私の状態に「本当にそうなのだろうか?当たり前なのだろうか? もしもそれらについて今と違う視点を持てたら、もっと豊かな世界が見えてくるのではないだろうか。」と、そんなことを投げかけられている気もする。そしてその投げかけは小林君自身が抱いている疑問に他ならないだろう。
以前の彼の作品と最近の作品。実は私は以前の彼の作品の方が好きだし、解る。
理由は先に書いたように、私が精神性の強い作品に惹かれることに依るのだろう。しかし良い美術作品には1つの側面として、日々生活する中で、疑いなく常識と捉えている認識に一石を投じ、価値観を揺さぶり、知的好奇心をもって考えさせてくれる力があると思う。 そういう意味で最近の小林君の作品は、解らないゆえに考えてみたいし、私には解らない作品を一生懸命に制作する彼の在り方を見ていると、その姿は逞しくもあり、私の視野を広げてくれるのではと期待し、心強くも思っている。
どんな展覧会になるのだろう。互いの作品に何かしらの接点は見えるのだろうか。あるいはまったく見えないだろうか。そして小林君とどんな会話をし、どんな言葉が聞けるだろう。今からとても楽しみにしている。
自作と、小林耕平君のこと / 伊東孝志 2021年11月
小林耕平 Kobayashi Kohei
《2-8-3》2009 ©︎Kobayashi Kohei, photo by kenakian
《2-8-3》2021 ©︎Kohei Kobayashi, photo by kenakian
小林耕平 Kobayashi Kohei
1974 年 東京都生まれ。愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業。1990 年代には名古屋でアーティスト自営スペースの主要メンバーとしても活動。人と人、人と物、など相対する関係に内在する些細で曖昧な要素を個人的・社会的なユーモアともとれる観点によって提示する。近年では、第三者に依頼し任意で創作されたテキストを「解釈」し、既製品に手を入れて構成した「オブジェクト」をこしらえ、その「鑑賞方法」を解説する映像作品を制作、発表している。近年の主な展示:2021年「ぎこちない会話への対応策-第三波フェミニズムの視点で」(金沢21世紀美術館・石川)、2020年 個展「インプレッション」(Lavender Opener Chair・東京)、2019年 個展「ゾ・ン・ビ・タ・ウ・ン」(ANOMALY・東京)、個展「東・海・道・中・膝・栗・毛」(東京国立近代美術館・東京)ほか。2018年〜 武蔵野美術大学油絵学科准教授
伊東さんは「ピンッ」とか「ビシッ」または「ゴロッ」など、物事がシャープに立ち現れることに意識が向いているように思えます。伊東さんは釣り好きなので、そのことも関係があるかもしれません。ある一点、ある一瞬を見逃さない目をしていると思うのです。一方、ぼくは決定的な瞬間を見逃してしまうこともよくあるので、釣りには向いてないなと思います。そう考えると、伊東さんとぼくとでは、物事の捉え方がだいぶ異なるのだと思うのです。伊東さんに撮影を手伝ってもらった作品に《2-8-2》2009年というものがあります。路地に日用品を配置し、それらをぼくが本来の使用方法とは異なる扱いをする様子を伊東さんに撮影してもらったものです。撮影の際に伊東さんには「関心と無関心の間」で撮影してもらいたいと伝えたところ、「ファインダーを覗いていると、どうしても意識が対象に向いてしまう」と困っていました。しかし、何度も撮影しているうちに「これいいよ」とコメントがあったときには、ぼくは映像を確認する前に作品が出来たと確信しました。釣り上げられた感じでしょうか。当時のぼくは、焦点が拡散していくこと、意識が散漫になることに関心があったと思います。一方伊東さんはそんなぼくの意図を汲みながら、混沌とした現場の中にひとつの切り口を見つけたのだと思います。この作品にはぼくが見せたいことと伊東さんが捉えたことの二つの視点が混在していると思います。その後の制作では、作品に関わる人も増え、出演者による会話もあり、展示の規模も大きくなってきました。今回kenakianでの伊東さんとの展覧会では、改めて当時と同じことをやってみようと思い伊東さんに撮影を手伝ってもらいました。《2-8-3》2021です。この12年を経て、お互い何が変化したのか?または何も変わらないのか?言葉の無い対話というものをもう一度考えてみたいと思います。
伊東孝志さんとの対話 / 小林耕平 2021年11月3日
[展覧会のご案内]
kenakianはこの夏のオープンから、作品を展示していただいた美術家をはじめ、関心を持ってくださった方々のご協力をいただくことによって、2回の展覧会を無事に開催することができた。今回 伊東孝志さんと小林耕平さんの作品を紹介したいと思い、この二人の美術家に展示をお願いしたところ快く引き受けてくれた。
伊東さんは、私が埼玉にプロジェクトスペースをつくって活動していた頃から頻繁に交流をしてきており、彼もまたいくつかのスペースをコツコツとつくってきた美術家だ。伊東さんとはよく口論になる。最終的に至る結果として建設的な意義あるものになるとも限らず、伊東さんも私も、それぞれが年を重ねるなかで互いにかなりのエネルギーをそこに費やしてきた。しかし私は、彼の言動から、自分自身に正直であろうと真摯に向き合う伊東孝志という美術家に敬意を抱いている。伊東さんの作品を初めてみたのは1980年代のことで、東京にあるギャラリーでの展示だった。その作品は、カミソリの刃が床に突き刺さって立っているものだった。それを見た時、自分の身を切られるかの様にギョッとさせられたのを覚えている。今思えば、カミソリの刃は、伊東さんのストイックな側面をそのまま表している作品だった。その次に作品をみたのは2001年の個展だった。当時親密な付き合いがあったわけでもないのに、時を経てなぜその個展をみに行ったのか実は覚えていない。しかし、私のなかで、その時の作品が一番強い印象として残っている。その作品は、本人がボートの上から石を沈めようとしている写真であったと思う。石が水中を沈んでいく様子や湖底に人知れずひっそりと存在している様子を想像したときに、自分の存在自体が不確かな存在に思えてならなかったのと、なぜかタイタニック号のことが頭に浮かんだのを覚えている。
小林さんとは、15年程前に伊東さんの紹介で出会った。本人に会う前、伊東さんから小林さんの映像作品をみせてもらっていた。当時の作品は、今の彼の作風とはかなり違っていた様に思う。今も変わっていないのは、個人的・社会的な不穏な部分を俯瞰的にとらえ、そこから抽出した要素を可笑しく真剣に問題提起しているところではないだろうか。世代の違いを前提に書くならば、それは、一見冷めているようにもみえる冷静な視点と滑稽なことを真面目に使いこなす器用さのようなものを併せ持っているようにみえる。誰もが「可能性」を手探りしているが、その行為自体をも嘲笑うかのようにやってのけているようにみえる。そこには、秘めた破壊力があるように私は感じている。映像作品の印象が強い小林さんの作品のなかで、確か2009年だったと思うが、キャンバスの上に無造作に塗られた絵の具の作品をみて私は新鮮におもった。その平面作品をみた時に、私は小林さんが表現しようとしていることに新たな可能性を感じた。
伊東さんと小林さんの間には世代は違うが長年築いてきた関係があり、私にはその関係性の深い部分はわからない。これまで実際に私が小林さんと交わしたのは当たり障りのない会話であったとも思う。ただ、小林さんと伊東さんの関係が長きにわたる時間の経過のなかで成り立ってきているということ、そしてこれまでにみてきた二人の作品そのものが私にとって重要な事実だ。
今回、伊東さん一人の展示でも、小林さん一人の展示でもなく、二人の展示を同時期に開催することをお願いした。伊東さんと小林さんと私の関係はこれまで書いたような具合である。到底すんなり開催に行き着くわけがない。しかし、伊東さんと小林さんにkenakianで展示をしていただけることに感謝するとともに、この二人がこの空間でどう反応し合うのかをとても楽しみにしている。
” 伊 東 孝 志 小 林 耕 平 ”の開催にむけて / 柳 健司 2021年11月1日